しげぞうコラム2:大峰という所 

前回の記事に関連して少し大峰の話を・・・
※「大峯」と「大峰」は同じですが、今回は「大峰」と表記します

前回の記事で取り上げた宇江氏の著書は、主に修験道について書き綴られたものだったが、この大峰山系というのはまた、登山の山でもある。どれくらいの人が登ってるのかというと、どこまで正確な数字かは分からないが、平成15年の数字で以下の通りになっている。
 ・稲村ヶ岳(いなむら)・・・・23,000
 ・山上ヶ岳(さんじょう)・・・82,500
 ・弥山(みせん)・・・・・・・47,000
 ・洞川(どろがわ)・・・・・ 293,000 
(※奈良県農林部森林保全課ウェブサイトから、単位は人、このうち洞川は登山基地の性格を持つ温泉町。もちろん上記だけでなく、他にも登れる山はいくつもある)

私が初めてこの山域を訪れたのは16歳の時、高校のワンゲル部の春合宿だった。登った山は釈迦ヶ岳(1800m)である。季節は3月だったのだが、ちょうど入山した時に降雪があった。
新雪が膝上くらいまで積もった山の上部付近ではラッセルを強いられ、ヘタをするとズボッと腰あたりまではまり込んで、仲間に引き上げてもらわなければならないほどだった。元々雪がほとんど降らない土地に住んでいたので、同じ近畿で3月に大量の雪があるというその自然に大変驚いた。

3日間の入山期間中、パーティー以外の誰にも会わず、会ったのは一頭のカモシカだけだった。
あまりにも静かで白い世界−−
何とも深い自然のある場所−−
そんな風に感じたのだった。

またある夏は、別の頂めざして友人4人で入山し、キョーレツな雨にたたられた。
「オレたちは山に登りにきたのか? それとも雨にたたられにきたのか?」
というのが合言葉となるほどの・・・
それでも山々が醸し出す緑の光景というのは何とも幽玄で、目の前の自然は、この雨によって作り出される特有の自然であるのだな、ということをおもむろに認識した。

北アルプスのように、一面の高山植物があったり、雪渓があったり、突き出た岩峰があったり、というハデな景色があるわけではない。高度感という点で言えばいまひとつだし、開放感という点でもさほど良い印象はない。しかし、この山には他にはない豊かさがある。私などは、「山(森)に包まれてしまう」という感覚を持ってしまうのだ。これが不思議と心地よい感覚で、いつまでも消えない。

私は霊感のような類のものは一切持ち合わせていないし、信仰心というのもごく普通の日常的なものしか持っていない。だが、この山の持つ魅力というのはどこにでもあるものではなく、やはりちょっと普通とは違うのではないか、と思う。
だから、多くの人に知って欲しいと思うが、一方で自分も含め、適切な関わり合いが必要だろうと考える。何が適切かは正直分からないけれど、考えていくことは大切なことだ。

この地は、世界遺産登録後、観光地としての性格を帯び始めている。その地へ至る車道はトンネルが作られ、道幅は拡張された。のぼりがたてられ、看板が増える。山が削られ、遊歩道が作られ、建物が作られる。山道は整備され、便利になった山にたくさんの人が訪れる。残されてきたからこそ世界遺産になり得たのであって、それを一時に消費し、壊してしまうことは許されない。私たちはまた、大切に残していくことを考えていかなければならない。

この大峰(どちらかと言うと大峰の東側に位置する大台ケ原にウェイトを置く形で)の自然・環境保護を地道に行っている団体がある。
「大台ケ原・大峰の自然を守る会」といって、確かな経験と知識を蓄積している信頼に値する組織だ。この地域の良識であるだろうと思っている。
幸か不幸か、この地域には「世界遺産」というプレミアがついてしまった。
その自然や環境を知る際に、行政や観光産業の聞こえの良い情報だけでなく、目下の問題に地道に取り組むそのような会の発言にも、ぜひ耳を傾けて欲しいと思う。

大台ケ原・大峰の自然を守る会 ウェブサイト

※大台ケ原・大峰を守る会のHP・「読者からの便り」コーナーに、拙文「大峰の未来」(2005/12/11付)を掲載していただいてます。

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