靖国の戦後史 / 田中 伸尚 

この前、季刊誌『前夜』第10号を紹介した(関連記事
その中の座談会は、高橋哲哉、鵜飼哲、田中伸尚という3人で行なわれていたわけだが
そういえば、この田中伸尚(たなか・のぶまさ)という名前
これまで折に触れて目にしてきたのだけど
今まで一度も読んだことがないなぁ、ということに気がついた
それで少し探ってみると、靖国や天皇制などについての著書をたくさん出していることが分かった
1941年生まれで、元朝日新聞社記者、現在はノンフィクションライターという経歴である

この本は、戦後の靖国神社について時系列でその変遷を解説している
内容は一面的なものではなく
国家(又は自民党議員)との関係性、戦没者遺族との関係性などを主軸に
具体的な出来事(立法府での扱い、裁判、政治家の公式参拝など)を紹介しながらその実際を明らかにしている
敗戦後、靖国神社がどのような道筋をたどってきたのか
日本国内及び近隣諸国(中国、韓国、台湾、東南アジアなど)とどのような関係性の下に歩んできたのか
そういった全体像をしっかり把握できる内容になっている

靖国神社は言うまでもなく現在は一宗教法人(神社本庁には属さない)であるが、その成り立ちと性格が「普通とは違う」ため、今も極めて政治的な問題を帯びることになっている
この「政治的な問題を帯びる」という所に靖国神社の大きな特徴があると言えるが
それが「なぜ帯びるのか」ということを考えた場合に
よく言われる「A級戦犯合祀(分祀)」や「国立追悼施設建設」といった事柄を考えるだけでは不十分である、ということが本書を読んでいるとよく分かる
すなわちそれは
「国家が犠牲者(戦死者)を追悼する」という行為そのものを問題としなければいけないことを示唆しており
支配者側の責任性を希薄化せしめる装置としての靖国神社の本質を問うているのである
こういった視座は
先の前夜座談会で一緒だった高橋哲哉や、本書でも引用で登場するテッサ・モリス・スズキの論稿と軌を一にする
両者の著書も合わせて読むことをおすすめしたい

遺族やナショナリストの感情(国のために死んだのだから称えられて当然だ)というのも確かに一面において理解できないこともない
しかし、ひとたび裏返して考えれば、それら戦死者たちは被支配者であったがゆえの「被害者」そのものであり
国家が個人の生命を翻弄したという事実(歴史)に対し
あるいは怒りを持って対峙する姿勢が必要とされるのではないか
「顕彰」され、英霊として「称えられる」ことは、次の犠牲者を既定路線として考える思考回路に他ならない
そういった回路を遮断する努力こそ、これからの私たちに必要とされることではないだろうか

なんにせよ、遺族が合祀の取り下げを行なっているにも関わらず
一切応じないという靖国神社の自己中心的思想を私たちは知る必要がある
創氏改名を強要され、戦時中「日本人」(それもあくまでもカッコ付きである)として戦死した朝鮮人も少なくないが
その遺族の悲痛な叫び、心の痛みを理解しようとしないのが靖国であり、我が国の司法の現状なのだ
この靖国神社に関わる問題は、靖国や司法、国家の問題に他ならないが
それにもまして、一日本人としての「私」に負わされるべき問題であると言えるだろう
僕も、引き続きしっかり考えていきたいと思う

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